希望とは努力の末に成長できたと自覚できる瞬間が与える産物
多くの新聞や雑誌で取り上げられている東京学芸大学の山田教授が書かれた『希望格差社会』の中で、教授は諦め社会構造の危険性を唱えられています。
内容の骨子は、『希望格差社会とは将来に希望が持てる人、もてない人の二極化が生じている社会を指す。つまり、未来に対する考え方の「二極化」の進行である。日本の社会のもつリスク化と二極化が、経済、家族、教育のシステムをどのように不安定化させているかに関して考察している。高度成長期から90年代頃までは、「負け組」に属していても、本人の努力次第で「勝ち組」に
入れるシステムが機能していたにもかかわらず、現在は徹底的な二極化が生じている。つまり、量的格差(経済的格差)が質的格差(職種やライフスタイルの格差、ステイタスの格差)となり、心理的格差(希望の格差)になると筆者は主張している。』
この希望格差は、これから更に広がるものと思います。
この社会問題を直視する時、もともと希望とはどこから湧いているのかということを考える必要があります。
皆さんは「希望」はどこから湧いてくるものと考えられますか?
さまざまなご意見はあると思いますが、私は希望の源泉は、自信と貧困から起こるものだと思っています。
社会が混沌としていようが、周りで脱落していく人がいようが昨日の自分よりも少しでも成長をしている、昨年よりも何かを達成できていれば必ず人は次のステージを求めていきます。
希望とは努力の末に成長できたと自覚できる瞬間が与える産物だと思います。
また人は満たされ過ぎると馬鹿になります。
馬鹿になるとは、満たせれていることへの自覚を無くし、トライする気持ちも無くしてしまうことなのです。
少し満たされていないことが、人をハングリーにし、成長しようという欲を導き出すのです。
希望はその先にしかありません。
希望が見えない、存在しないと言われる方は、まずは今の自分にひとつだけ自信をつけられるよう、全力で何かに邁進してください。
必ず光が見えてくるはずです。